角待ちは対空

おもむろガウェイン

2019-07-15の日記

油断して家出たら祇園祭の宵々山で家に帰れなくなる。宵山?宵々山?宵々々山?とにかく烏丸通りが通れなくなるやつ。

宵々山いいところはそれなりにいい屋台がそろっていることで、故もなさそうな焼きそばしかないみたいなことがない。よくないところは屋台で食べなくても平日にその店行けば大体同じものが食べられるところ。

振り返れば京都来て数年立つけど観光スポットやイベントに全然行ってない。すげぇもったいないことしてる気がするしそういう性癖なのだから仕方ないという気もする。


去年の宵々山はめちゃくちゃ暑かったなぁという思い出がある。たぶん京都にいる限りは去年の宵々山の暑さがずっと基準になっていくと思う。

2019-07-06の日記

そういえば書いた。

developer.hatenastaff.com

今期(というかここ2年位)は技術的負債を地味に返済する仕事をしていて地味なのでせめて外部発表積極的にしてたけど、登壇という行為がなんだか向いてない気がする。ブログはまだまし。ちなみに地味じゃない返済とはインフラを刷新しk8s導入しました、みたいなやつ。

今期のフィードバックとして今はやってることとマッチして成果出せてるけど今後はどう活躍するつもりかみたいなのを頂いて、確かにと思いつつ、ウェブシステム開発に必要な技術として抽象化して身につけそこそこ高いレベルで適用していると思っていたがそうは認知されてないことや、そういう今後活躍するあてのない技術しか身につかないタスクが発生することにやるせなさを感じる。自己犠牲精神で仕事してるなら何かしらの幻想に取り憑かれているので辞めるのが正解なのでしょう。

そして今MySQLカジュアルの資料も公開するの忘れてることに思い出した。

猫死んだ

死んでしまった。

最後は見た目こそ悲惨だったけど痛そうな様子はなくてよかった。 冷たくなってるの気づいたときはなんだかちょっとホッとして、でもまぁなんかの間違いで生き返るかもなんて思い、少し寝て、起きたらますます硬くなってた。触って硬いのが一番死んだんだなぁと実感できた。普段柔らかいからね、猫。

その日のうちに自治体のペットの死骸の処理方法に従って引き取ってもらった。自治体に任せてしまうと割とごみ扱いになってしまうんだけど、自分はあんまり死んだ後のあれこれに意味があるとも思えないタイプなので、死体がきれいなうちに済ませた。

そのあと会社寄って流れで寿司食べて寝た。寿司食べたのは別に何か意味があるわけではなく流れ。

もう猫はいないんだけど、猫が倒さないようにコップの位置調整したり、布団どかすとき猫がいてもいいように予備動作いれたり、そういう所作が結構しみついてるなぁと昨日一日過ごしてわかってきた。

まぁそんなにいい飼い主ではないにしろ悪い飼い主でもなかっただろうから、猫もそれなりの満足度で人生過ごしてくれたでしょう。僕も猫にはいい体験させてもらったし、本当にいいことだらけだった。